pour k
永田壮一郎が初のフルアルバムpour Kをリリース。
架空の故郷をテーマに山口県と熊本県天草市今津小学校のピアノと様々な環境音を使って製作されています。
感想をいただきました。
石黒広昭(立教大学文学部教育学科教授 )
ここには風に揺れるカーテン、投げ上げる音、垂れる滴。それらが組み合わされ、循環している。
何かが揺れることは風がふいていることを教えてくれる。風は誰かの口から吹き出されているわけではなく、大地の温度変化の中、そこにあるものたちの状態変化が総じて生み出すものだ。
音が流れてくるといったところか。誰かが音を出すのではなく、音が流れてくるということ。
投げ上げる音、これは語り掛ける音のよう。
他者に対する働き掛けの音。でも、その音に相手が応えるかどうかはわからない。
それでも、相手の態度に関係なく、しつこくとにかく語り掛ける。自分の思いが溢れて他者に触れる音なのかもしれない。紙風船を少し掌から空に押し出すように。
垂れる音。雨水のように音が地面に一滴一滴落ちる。その過程で生まれる音を聞き分けているよう。掬った両手から水を落とし、その音を繰り返し聴くように。
ただ、水の滴との違いは、水の滴は着地したとき、つまり、他の物と接触したときにだけ音が聞こえるが、
ここでのピアノの音は落ちるまでの過程の叫びとして、左右に揺れていたり、空気と接触したりするときの音を聴かせてくれる。
本当は石に落ちる水滴だって、途中で音を生み出しているはずだ。
その音を聴くことができることを、そうした音をいつも聞いて「いた」ことを、わたしたちは気づく。
流れる音、投げる音、落ちる音、この循環は人の、自然や他者との関わり方を示してくれているのかもしれない。
循環はCD全体にも感じられた。
最初の曲と最後の曲に子どもの創る音があるのにはきっと意味があるだろう。
永田さんの祈りの前後に、日常からの戸口があり、また最後のドアから日々の世界に戻っていくということだろうか。
なんのために作られたCDなのか本当のところはよくわからないが、「自分のため」の意味は、事実を受け入れながら、世界がまだあることを、
そして、さまざまなものがつながっていることを確認するためということだろうか。
Kさんもまた永田さんの頭の中だけでなく、この緑と青に彩られた世界にしっかりとつながり、その世界の中で繰り返し現れて来るということだろうか。
他者に花を手向ける、そしてまた、他者から自分をその人が作った世界に繋いでもらう、一音一音奏でながらそうしたことを自覚し、納得していく過程がここにはあるようだ。
聴く者もまた、その循環する世界、そこに確かにある世界に少しふれることができた気がする。
福岡南央子(グラフィックデザイナー)
聴いていると自分もこの音楽を奏でる快楽を知っている気がしてしまう。
デジャヴみたいに、この感情を前から知っている、と思ってしまう。
永田さんは、音楽を奏でる側と聴く側に分けて考えていない気さえする。
私たちが音楽の中に入って自分でも動いてみることができるように、野原のように広げておいてくれている。
その野原はとても美しい。
有馬 野絵 (ROCKY CHACK)
幼いころから弾いていたピアノの音、感触は古い記憶の匂いや温度までも喚起する。
このアルバムはそんなノスタルジーな感覚にとどまらない。
「外海」はまだ見たことのない何処かへのはじまり。外国かもしれないし、忘れてしまった思い出なのかもしれない。
「新しい天使」たちの未来への足どりは軽い。
『pour K』 素敵なアルバムだと思います。
穴見敬(元カラーフィールド店主)
「初めてわたしのうたを聴いた時、あるイメージが浮かんだ。それは県営住宅のような3、4階建てのアパートの集合体である。
ある家庭で夕餉の支度をしている母親の鼻歌。また洗濯物を取り込んでる夫の鼻歌。弟の帰りを待つ姉の鼻歌。
そんな明日には忘れてしまう営みの中の旋律の集まりがわたしのうたである。
これはわたしの集まりが世界を作っていることを僕たちに教えてくれる。
永田氏はこの曲のメロディは共通だが歌う人のピッチについては合わせていないと説明している。
まさに僕たちが生きる世界そのものである。
そして私は私であり、私の思うように生きることしかできない。
あなたはあなたである。あなたの人生を思うように生きてくれればいい。
そして、私は私であり、私の思うようにしか生きることしかできない。その二つの大きな他者がある一点で交わり、また別れる。
永田壮一郎が表現しているのはその瞬間である。
私が私のために行った行動。
それが他の人のために作用する瞬間。
それを僕たちは魔法と呼んでいる。
「ピアノの音が好きな人なのかな・・・」
山崎学(shiNmm)
すぐにアルバムを一周した僕は、pour kの中から一曲『わたしのうた』を選び、悩める友人にプレゼントした。直感で”そうすべきだ”と思ったからだ。
聴き終えた2人の中には「こらからどう生きるのか。またはどう死ぬのか。」など自己への問いが生まれ、そして長い間話をした。
素晴らしいものと対峙すると、どうしてか自己と向き合わざるを得なくなる。
まるで魔法や呪いのようだと度々思う。
pour Kはそんな魔力に溢れた素晴らしい作品である。少なくとも僕達はこの作品の持つ魔力に突き動かされた。
張小船(artist)
巡演过去两个月后的一天,这个夏天最热的一天,在对马岛盘旋曲折的北部山路,一个21岁年轻男孩把车开得飞快。在他的车里,一首吵闹的朋克乐之后,我听到了熟悉的钢琴旋律,它出现地那么自然,又那么突然,
它无比熟悉,又异常陌生,我忘了它的名字,但我几乎就要跟着它哼唱起来或者吹出半了慢拍的口哨。窗外飞速掠过的树林和光斑,间或闪现的蓝色大海,全都缓慢下来,缓慢下来。那一刻我感到万物静止,感到心里出现一种特别的温柔。我问男孩,这首曲子为什么那么熟悉?他说你好笨,这是永田的Pour K啊!
One day after the last two months of the tour, the hottest day of the summer, a 21-year-old young boy drove the car fast on the winding mountain road north of Tsushima island. In his car, after a noisy punk music, I heard the familiar piano melody, it appeared so natural, so suddenly, it is very familiar, and strange, I forgot its name, but I almost I’m going to sing along with it or blow a half-slow whistle. The trees and light spots that swiftly passed through the window, or the blue sea that flashed, all slowed down and slowed down. At that moment, I felt that everything was still, and I felt a special gentleness in my heart. I asked the boy why is this song so familiar? He said that you are stupid, this is Pour K of Nagata!